「文才!身障者のテレワーカー日記」 【第2回】
皆さん、こんにちは。
広報部の宮川です。
2回目となる今回は、私がどのような経緯でリペアサービスを知り
就職したのかを書かせていただこうと思います。
今から2年半前のこと・・・
高校3年生だった私は卒業後の進路に悩んでいました。
「親の庇護下から離れて経済的に自立したい、けど・・・
体力面とか入院する可能性も考えると通勤とかは厳しい・・・」
そう思っていました。
そして月日は流れ、夏休み。
短期入院という形で八雲の病院に入院する事になり、そこで
テレワークで就労している方と知り合い、テレワークの事を知ったのです。
「就労」=「通勤・出社」という恒等式があった私にとっては
入院しながら就労している姿を直に見たことは
まるでUMAを見たかのような衝撃がありました。
それからは「テレワークをする企業と人を増やす」という
国の事業計画に参加するかたちで、全員がテレワークで働いている会社で
実際に実習してみたりしながら、就職を目指す方向に。
そうこうしているうちに月日はあっという間に流れ、
仮装してお菓子をせがむ日が過ぎ、除夜の鐘を聞き終え、
就職することが出来るのだろうか、と半分諦め始めた頃・・・
豆撒きする直前に、いよいよ出会いは訪れました。
突然「私に会いたい」との連絡が入り、私も先生も困惑しました。
しかも「話がしたい(WEB会議とかの画面越し?)」
「学校に来て直接話したい」「社長だけではなく幹部2名も一緒に」
のように、連絡の内容が日増しに変わっていったのです。
「冗談や間違いじゃないよな」とか「ただ単に話だけで終わったらどうしよう」
と思いながら数日後、いざ面談。
そもそも、どこから私の存在を知ったのか気になっていたのですが、
国の事業計画に携わっている人経由で知り、私の書いた就職希望書の文章を読み、
気に入って下さったようです。
あれよあれよと内定書や雇用契約書を書いたりして、二か月後、
無事に入院しながら就労することが出来たのでした・・・
その後については、またの機会に書かせていただきます。
最期まで読んでいただき、ありがとうございました。
「文才!身障者のテレワーカー日記」 【第2回】 広報部 宮川